本ページでは研究の概要を紹介しています!
私はアジアを中心に体験記を紹介しているKunyです。
2014年8月、BOPビジネスのニーズ研究として
フィリピンの島々を相棒コージと旅してきました。
フィリピンってどんな国?
と思われる方が殆どかもしれません。基本情報をまとめてあるのでぜひご覧ください!
「フィリピンの基本情報」
(↑クリックでリンク先ページに飛びます)
フィリピン国内7つの島々を船で訪れ、
各島で調査を進める傍ら動画を取ってレポートをしてきました。
動画のタイトルは「To the top from the bottom」、Youtubeでもご覧いただけます!
"To the top from the bottom"
(↑クリックでYoutubeプレイリストへジャンプします)
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旅のスタートは中央ビサヤ地域のセブ島からです。
セブは国内2位の経済都市、治安良く観光資源に恵まれている場所なので、
フィリピンの食べ物や大きなショッピングモールで買い物を楽しめます。
セブ島の西側に位置しているのがネグロス島。
国内3位の人口規模を誇り、4番目に大きい島。
70%の人々が砂糖生産関連の仕事に従事し、国内60%のサトウキビを
生産する砂糖の大産地です。
ネグロス島の中央には島を東西2つの州に分ける大きな山があります。
ネグロス島の南東に位置するドゥマゲッティという町は東ネグロス州の州都です。
私たちは事前に州政府にアポを取り、町についた翌日
州知事を務めるMR. ROEL DEGAMOさんと面会しました。
バイクを3日間借りて山中を探検。
バイクは死を覚悟するようなハプニングの連続でしたが、
山の奥深くにあるツインレイクという巨大な湖をみることもでき、
ここで今回の調査初のアンケート40枚の回収に成功しました!
9月に入り、次に訪れたのはネグロス島の北に位置するパナイ島です。
私たちを初めに迎えたのはイロイロという町。
歴史の古いその町は、セブシティに次ぐ第二のスペイン入植地です。
経済が比較的なイロイロに着くやいなや、私たちは再び船に乗り
隣にある小さな島、ギマラス島の非電化地域を目指しました。
結果的に、送電網が行き届いていることを知りパナイ島へ引き返しましたが
ギマラス島でお世話になった数少ない日本人ホテル経営者、
アキオさんから大切な言葉を貰うことができました。
3. パナイ島とギマラス島-太陽と共に眠る町、そして夜の洞窟へ
イロイロを離れ北上し、パナイ島の北端につきました。
パナイ島最北端のカティクランという港町は外国人の姿は少なく、経済的にも豊かではありません。その理由は、そこから船で15分ほど沖合にあるボラカイという世界屈指のリゾートの島があるからです。
調査旅行といえど、リゾート大国フィリピンに来ているので一晩くらいは海に行きたい!
と決断したのですが、観光客が多く物価が高いためホテルで私たちがしていたことは
洗濯物の手洗いと快適なインターネット環境でのFacebookでした。笑
リゾートを離れ、私たちが向かったのは大型フェリーで北へ6時間、ミンドロ島です。
今まで滞在していたビサヤ地方を離れ、ミマロパ地方にたどりつきました。
到着したのは夜だったのですが、あたりは真っ暗。
週に3-4回断続する計画停電の最中で、始めはそこが町であることも気が付きませんでした。
ミンドロ島南東部のロハスという町に泊まりながら、
西へ30分ほど離れたサンマリアノという小さな町で私たちはアンケート調査をしていました。
マンヤン族という少数民族が住むその町で、
現地NGO- Gelacio I. Yason Foundation Family Farm School
が運営する小さな農業学校にお世話になりました。
調査協力からマンヤン族の子供たちの交流会、
さらには学校の宿舎に泊めてくれさえもしました。
サンマリアノを離れた私たちは、北へバンで向いカラパンというミンドロ島の首都へ。
ミンドロ島で最も大きなその町にはフィリピンで珍しいナイトマーケットがありました。
そこへは1泊のみの滞在になりましたが、久しぶりに都会らしさ
(ジョリビーなどのチェーン店がある)を感じました。
そしてたどり着いた次の目的地はプエルトガレラという、
ミンドロ島北部の町、ダイバーの聖地です。
2014年6月14日放送「こんなところに日本人!」(テレビ朝日)
というテレビ番組で見たモルテル琴さんに会いにどうしても訪れたかった場所です。
琴さんはOrient pearl Resortというホテルを経営されており、
久しぶりに食べた日本食の味は最高でした。
峠を一つ越したところにサバンというヨーロッパ人が開いたリゾート地があったのですが、
そこには南国とヨーロッパが絶妙に融合した美しい世界が広がっていました。
しかしながら、次の目的地へ行こうとしたところで巨大な台風「マリオ」が直撃。
4日間お世話になることになりました。
8. プエルトガレラ-フィリピンの楽園で台風直撃、足止めくらう
そしていよいよ、次の目的地は貧困がさらに問題となる場所へ。
コージと私は、台風による足止め期間を取り戻すため別々の方向へ進みました。
私はミンドロ島西部、コージは大戦後30年間潜伏していた小野田少尉で有名なルバング島へ。
私は国際援助、NGOやODAが行き届かない場所へ。
東から西へ。同じミンドロ島でも行政区が異なり、高い山があるために一度
マニラのあるルソン島へ行き、船を乗り継ぎマンブラオという町にたどりつきました。
ここでは、偶然、前町長のアキノさん(Mr. Alan T. Aquino) と会いエネルギー問題をいかに解決する計画なのか、お話を伺うことができました。
私は調査を終え、マンブラオを離れルソン島南部の大きな港町、
バタンガスへ向かいました。
バタンガスは経済が活発な港町、大きな大学やホテルも充実しています。
コージはそのころルバング島で調査を開始、動画で長閑な雰囲気をお楽しみください!
私はバタンガスを離れ、いよいよフィリピンの首都マニラへ。
プエルトガレラで事前に予約を取っていたホテルで、コージと待ち合わせをする約束だったのですが・・・
コージがマニラに着いたのはそれから3日後!!
というのは、再び巨大な台風がフィリピンに上陸し船は欠航、マニラは冠水状態になっていたからです。
ルバング島に取り残された珍しい日本人、コージはその数日間で島の人気者になっていたそうです。笑
フィリピンの次の目的地、インドネシアへ向かう日の昼。
コージはフライト当日に一日でルバング島から、海を超え山を超えマニラまで!
間一髪!ぎりぎりでフライトに間に合いました。笑
(↓クリックでフィリピンの後に向かったインドネシアのレポートへジャンプ)
【ジャカルタ】インドネシアレポート2014年
(↓フィリピン調査動画集To The Top From The Bottomのプレイリストです)
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