9月8日、San Marianoへ到着
Mindoro島の港町、ROXASからトライシクルで約40分島の中央に向かった小さな村、
そこがSan Mariano、少数民族が住む場所が近く、決して豊かではないが平和な場所。
9月9日、ROXASからSan Marianoへ
ROXASのレストランで働くおばちゃんからのアドバイス、
「ここからSan marianoまでは40分で27ペソ、緑色のトライシクルにのるのよ!」
フィリピン農村部の人々はとても親切、ずいぶんお世話になりました。
感謝を胸に、トライシクルに飛び乗ってSan Marianoへ向かった。
ホテルのない村
ホテルのないSan Marianoへ行くためには、最も近いROXASに泊まる必要がある。
そしてトライシクルで村まで通っていました。
その初日、私たちは「日本から来ました、この村にNGOはありますか?」
と村の人々に訪ねて探し回り、たどり着いたのがこの農業学校、The Farm School。
ゲートを開け学校の中へ
近隣を少し探した後、道にいる子供に場所を聞いて学校を見つけました。
学校に入るとすぐに、とても愛想よく一人の男が近づいてきます。
本当に誠実で慈悲深く、ジョークが上手い彼はPerry。
ボランティアとして学校で英語を教えるミンダナオ島出の若者です。
Perryと思い出の写真
彼とずいぶん語り合いました。
強い雨に降られて調査に行けず屋根の下で、そして学校に泊まった日の夜に。
フィリピンの社会問題、村の復興、それらを支えるテクノロジー、フィリピンという国そのものについて。
そして、Perryや学校の創始者Mom Minaの手助けのもと非電化地域で調査ができました。
AndyのSari Sari Store
動画に出てくる調査を手伝ってくれたさわやかな男、Andyの店。
彼はトライシクルのドライバーであり小さな店の店主、一児の娘Kei Keiの父親。
Andyの店で冷たいコーラを買うのが、私たちの体力回復方法。
冷たくて中位のボトルのコーラが12ペソ(28円)。
余談ですが、Andyは優しさがにじみ出る家族の柱という印象。
親戚にあたるDinaは彼について
"He doesn't know how to say no."と言っていました。
フィッシュボール
「魚のすり身を丸めて揚げた小さなおつまみ」、そうフィッシュボールを説明できると思います。
私たちが通りを歩いていると、フィッシュボールを食べない??
と声かけてもらい人が集まる小さなスタンドへ。
ちょうど雨が降ってきたこともあり、たくさんフィッシュボールとヌードルを食べました。
ここで出会ったのがDina、農業学校の迎えに住む親切なおばちゃんです。
フィッシュボールは2個で1ペソ、つまり一個1.2円くらいでした。
9月10日、少数民族の子ども…違いがわかりますか?
日付が変わって10日、調査の達成率が半分を超えたあたりで、
少数民族Mangyan族の宿舎を訪れました。
この時間はまだ、多くの子どもたちが集まっていなく数人の女の子と会えました。
彼女たちが付けているスカートが女性の伝統衣装、1枚の布でできた巻きスカートだそうです。
そして、同行してくれていたPerryが言うには…
「これは僕の個人的な意見何だけど、Mangyan族の目は特徴的で、少し日本人っぽいと思わないか?」
確かに一般的なフィリピン人と顔の特徴が違い、日本人のようなつぶらな目をしています。
その夜、再びMangyan族の宿舎を訪れ小さな集会を。
この日、学校の創始者であるMom Minaに頼んで、特別に学校の宿泊施設に泊めてもらいました。
その夜、8:00頃になるとMangyan族の子供たちが学校に集まることを聞き、Perryと歩いて学校へ。
その途中、人生で始めてみる「大きな黄色い月」をみたことは何かの予兆のようにも感じました。
写真が無いのが残念でしたが、Perryと月を見て感激していました。
Mangyan族の学校に着き、子どもたちが30名ほど、8部族が一緒に生活をしています。
私たちと円を囲むように椅子を並べ、小さな交流会を開きました。
交流会をしようという流れになって…さてどうしよう!
Perryが「クニ、何か日本からもってきたものない?」「何か用意すればよかったなー、ない」と私。
Tシャツ、短パン、サンダル。ポケットの中には現金だけの財布とiPhoneだけ。
時計回りに自己紹介をして、質問をしたりジョークを言って素敵な時間を過ごしました。
コージは日本のミンティアを配りそれが大人気!
あっと言う間に5種類が空になりました。
そこで、分かったことが3点あります。
・Mangyan族の子どもたちはすごく、すごーくシャイ。ほぼ全員が皆の前で自己紹介をするだけで緊張してしまいます。
・次の写真から分かるように、男性の民族衣装が日本の「ふんどし」そのもの。
・Mangyan族は100年以上前にフィリピンに渡った日本人の末裔の可能性がある。
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交流会で「ふんどし」を見た私は日本分化とMangyan族の共通点について質問をしました。
日本人もそもそも、とてもシャイな民族。そして、ふんどしや着物のような衣装に郷愁のようなものを感じたからです。
すると、Mangyan族宿舎のスタッフの女性が「もともと日本人がルーツの可能性がある」、
と話し始めました。
歴史学的な証拠は少ないかもしれませんが、可能性を否定することも難しい共通点を感じました。
Perryは「この中にクニの遠い親戚がいるかもしれないよ!」と一言。
たくましいMangyan族の男子
集会が終わり、外で記念撮影。
伝統的に男子はふんどし、私たちも敬意を示して上裸で並びました。
最近ではふんどしを着けることを恥ずかしがり、少年たちは外では他のフィリピン人と同じような格好をしているそうです、
しかしこのように若者が伝統を継承している姿は、日本と対比させて考えた時に感慨深くなるものです。
彼らが腕に付けているものは、彼らが編んだ腕輪。
かっこいいですね!
手工業を得意とする彼らは、現代では編み物や布を織って生活しています。
コージはそれを作ってもらうべきだったと少し心残り。
その夜、犬と共に寝るコージ
学校へ戻り、Perryと本音でフィリピンの政治経済の問題点について語り合いました。
そして、なぜ彼はボランティアとして長期的に物事をみることができるのか、
お互いのバックグランドを踏まえて。
ここは学校ということもあり、こっそりとビールを飲む形になったのですが、
コージはよほど心地よかったらしく学校で飼っている犬と外で爆睡。
翌朝、The Farm Schoolで起床、次の町へ。
いきなりトイレの写真ですいません!
私たちを泊めてくれた学校のトイレです。
でも、ここはトイレだけの機能ではありません。
左下のバケツに水をためて体を浴びるシャワー室でもあります。
Dinaの家でスローな朝
Dinaはフィッシュボールのスタンドで出会った学校の迎えに住む女性。
Andyの店で飲める冷たいコーラが欲しくて、彼に会いに。
そこでDinaが「朝ごはん食べたの?家においで」と、私たちを招いてくれました。
Dinaと記念写真、コージはPerryから貰った帽子にサインをしてもらう
結局、Dinaにお昼ごはんも作ってもらいました。
それだけではなく、動画で紹介しているようにローカル市場を見に行ったり、
換金を手伝ってもらったり、おいしいスイーツを教えてもらったり。
とっても優しいDina、お母さんのような面影を感じました。
DinaとAndyの奥さんから貰ったブレスレット
私たちはDinaやSan Marianoの友達から多くを貰いました。
フィリピン最貧困地域、そこへ突然訪れた私たちに無償の友情を与えてくれた人々。
たくさん貰った思い出、私たちは彼らに恩返しすることを堅く心に誓いました。
さてさて、次回はMindoro島の首都、Calapanを紹介します!
【フィリピン現地調査】
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