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こんにちは!Kunyです
今回はいつも自分が考えていること、人に話す持論について記事にしてみようと思いました。
人生観について、考えている人にとってヒントとなる話になればと思います。

まず、一番大事にしていることは「やりたいことをやる」という人生観です。

やりたくないことはやらない、やりたいことをやる、やめたくなるまでやめない


やりたいことをやる理由は、100%を超えるパフォーマンスは好きな事からしか生まれないからです。
やりたくないことをやらされているとして、100%以上の成果を出したいと思うでしょうか。
「ここまでやってね」と言われたところまで終わったらすぐに仕事を辞めるでしょう。
それは時間的なものだったり、タスクごとかもしれませんが「これ以上やろう」というインセンティブは働きません。

一方で、「やりたいこと」をやっている状態は没入とも呼べるでしょう。
没入して取り組むからこそ100%を越えて、気が付いたら150%、200%の結果がでます。
外側からのモチベーションより内側からのモチベーションの方がパフォーマンスに大きく寄与します。
(心理学では内発的動機づけと呼びます)

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なんでもできるし、何者にでもなれる。できないと思っているなら、それを目標にしよう


好きなことをやっていれば、パフォーマンスはどんどん伸びていきます。
やらされている人はあっという間に遠く離れて行き、気が付いたら特定分野で一番になっていることでしょう。
競争相手が少ない分野なら特に、ナンバーワン(オンリーワン)になれるのにそう時間はかかりません。

そんな風に生きていると、どこに行っても高く評価されるようになります。
これまで達成してきたことを振り返ると、多少の困難があったとしても自己肯定感が上回るようになるはずです。

そこで、気が付くことは「何でもできるし、何者でもなれる」ということです。
できなかったことがあるならば、それを本当に好きではなかったのではないでしょうか。
それが本当に好きなことで、できるようになるならば、人はどんな人にだってなれます。

そして、目標をたてるなら「実現したいけど、高すぎるかな」と思う程度が良いと思います。
なぜならば、人は夢や目標以上になれることはないからです。
目標を決めれば、たいていのことは実現できます。
いつも通り、人々にそれを公言して戦略を立てて挑戦を続ければ目標は叶います。

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社会的に求められていることからズレてない?


好きなことをやっていたら、高い目標も実現できるというところまでお話しました。
ただ、これは社会的に求められていて自分の適性が合っているという条件が付きます。
当然ですが、社会に求められていないことはいくらやっても誰の目にも留まりません。
また、社会的要請があっても適性がなければそれに応えることはできません。

その事柄が社会的に求められているかどうか、ここでは複雑化させないために深堀しません。
ただ、そんなに難しくなく考える方法があます。

それは、「自分が考える、あるべき社会の姿」‐「社会の現状」=「乗り越えるべき課題」で捉えることです。
「乗り越えるべき課題」が大きければ大きい程、社会に求められているものです。
反対に、乗り越えるべき課題として小さすぎたり、あるべき社会の姿がマイナスになるとき考え方がズレているという状態になります。

乗り越えるべき課題が見つかって、それを何とかするためにのめり込んだとしましょう。
好きなこと、やりたいことをやって課題を解決するという目標を叶えていくときに何が起こるか。

それは他者を幸せにしている状態といえるでしょう。
社会がそれを求めているので、他者が幸せになるのは当然ですよね。

幸せに出来た人の数と質の掛け算で、社会的成功が決定する


自分自身の社会的成功と幸せにできた他者の合計は等しいと考えています。
社会的成功とは社会的に大きな価値を生み出し、地位や名誉、財産を手に入れることをいいます。

「幸せに出来た人の数」×「与えることができた幸福の質」=「社会的成功」

人間は社会的な生き物ですから、他者のためになることができれば、できるほど価値を持ちます。
それは、群れを作って共存共栄する以上、自然なことだと思います。

そこで、どうすれば自分が幸せにできる人の数を増やせるのか、もっと貢献できるのかが自己実現のカギになります。
数を増やす」という点は、シンプルに日本国内に留まるのではなく、世界を相手にすることで約80倍に対象者が増えます。
幸福の質」は何を提供できるのか、という部分になるのでその時々によってモノの価値は変わります。

Kuny's Cafeは2014年、10年前に立ち上げたライフスタイルVlogです。
当時から変わらないページのフッターにある自己紹介文、"I keep trying to make contribution globally to the world"は貢献できる人の数を増やすことを意図しています。

自分がいないことで発生する社会的損失から社会を逆算する


もしも自分が社会から消えたら、どのくらいの損失になるのか意識したことはありますか?
社会とは自分が帰属している集まりなのか、国家なのかという枠は定義しません。
ここで、紹介したい持論は自分がいないことで起こる社会的損失から逆算して社会を自分で定義するということです。

「社会」‐「自分」=「社会的損失」

生まれた瞬間に、いつか命が無くなることは決定します。
限られた人生ですから、自分がいなくなった後に社会はどう変わるのかを意識する必要があると思います。
何も変わらないのか、それとも社会は損失を被るのか。

自分がいなくなった後、社会的損失が大ききれば大きいほど、社会的インパクトの大きい人生を歩めたと言い換えることができます。
ただ、その社会的インパクトは社会の定義によってことなります。
自分の所属している会社をとらえているのか、地域社会をとらえているのか、国家を指しているのか。

そして、他人との同質性が高ければ高いほど、自分以外の人が自分の代わりになることができるようになります。
つまり、人と同じことをやればやるほど、自分がいなくなった場合の社会的損失が小さくなるということです。
そこで、どうすれば人と重ならないようにして、社会的インパクトを大きくできるか考えてみましょう。

私の答えは、社会の切り取り方を変えるということです。
例えば、社会をバージン諸島と捉えると住んでいる日本人は1名しかいないので社会的インパクトを大きくできます。

"Make a difference"とよく言いますが、人と同じは価値が低く、異なるから希少性の法則が働いて価値が上がります。
「誰と比べて?」と問いを立てるなら、「どこ」を仮説に取り入れると違いを作りやすくなるでしょう。

まとめ

今回はどのように生きていくのか、持論を紹介しました。

・好きなことをやる。だから何でもできるし、何者にでもなれる。
・社会的成功は幸せにできる人の数と質で決まり、どう幸せにできるかは「乗り越えるべき課題」を見ればよい。
・自分がいなくなった場合の社会的損失を意識すると、同質性を下げるための場所が見えてくる。
・自分の代わりが無いことをして他者を幸せにできることは、遣り甲斐があって社会的成功に導いてくれる。
・それが好きなことだから、何でもできるようになるし、何者にでもなれる。

私の人生観が誰かの役に立てば嬉しいです!

 

 

 

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