LOGICとACTIONのループが成功へ導くという記事を書いています。
今回は、ループが上手く機能しない弊害の3つ目、
「失敗とはなにか」について書きたいと思います。
そもそも、なぜ人は行動的になれないのでしょうか?
私の持論では、理由は大きく分けて3つ在ります。
1.達成すべき目標がないから
2.目標があっても達成方法を導き出せないから
3.達成方法を導き出せても失敗を恐れるから
今回は「3.達成方法を導き出せても失敗を恐れる」について書きたいと思います。
目標があり、その為の達成方法は定まっている。
しかし、実行に移せない・・・という経験は誰にでもあると思います。
20代前半の頃、私は営業職をしておりました。
しかし、しばしば営業先リストや事前調査など準備を整えたのに、
営業に苦手意識があり二の足を踏むことがありました。
自分なりにシュミレーションはできてるのになぜ実行をためらってしまったのでしょう。
それは、失敗を恐れているからです。
自分の思っている通りに営業ができない・・・
もしかしたら厳しく突き放されるのではないか・・・
と当時は考えていたのです。
ここで、「失敗」とは何かを考えてみてください。
「失敗」とはいったいなんでしょうか?
取り返しのつかない結果が生まれることを失敗と言うのではないでしょうか。
二度と手に入れられない何かを失うことなど・・・
取り返しのつかない結果は状況によって様々ですので、
想像できるケースに当てはめて読み進めて頂ければ幸いです。
さて、取り返しのつかない結果が生まれる理由はなぜでしょう?
その最悪の事態が起こってしまう状況が起こったとして、
理由は単純に、取り返しのつかない結果を想定していなかったからだと考えます。
(隕石が落ちてきた、大災害が起こったという不可抗力はどうしようもありませんが)
そう仮定すると、目標の達成方法を適切に導いているのなら
取り返しのつかない結果が生まれる可能性は最低限に抑えられているはずですよね。
つまり、適切に(論理的に)導出されたACTIONならば、
計画通りにならなくても取り返しのつく結果生まれるはずです。
強調したいことは、計画通りにならない結果が生まれる可能性はゼロにはならないということです。殆どの場合、計画通りになる可能性が100%にならない理由を説明します。
そもそも、論理的(理論的)であるということは科学的に考えるということです。
なぜならば、科学的であるためには理論が必要で、理論とは論理によって構成されているからです。
科学的の反対、非科学的とは疑似科学的や宗教的、神秘主義的ということですが、
そもそも、科学的とは一言でどのように言えるでしょう?
それは「反証可能性がある」ということです。
これを言い換えると「否定の余地が残されている」ということです。
さて、反証可能性という意味を説明する為に逆の概念を説明します。
ここでは科学の反対、宗教を考えましょう。
神を信じる信者がいて、あなたは彼らに「なぜ神を信ずるのか?」と問います。
信者は経典や聖書のような教えをあなたに伝えるでしょう。
しかし、その教えにいったい誰が「それは違う!」と言えるでしょうか?
「絶対だ」と言っている対象を否定することはできないですよね。
神は絶対的な存在ですので反証可能性はありません。
では、神が神であるために証拠は必要でしょうか?
答えはNOです。なぜならば、
信者は証拠でなく神の教えや救いを信じることで宗教は宗教たりえるのです。
言い換えると、神の存在に証拠は必要とされず、代わりに信条が必要とされます。
もしも、宗教に証拠が必要とされるならば科学と同様に否定の余地が生まれてしまうのです。
一方、科学的であるためには信条の代わりに証拠が必要とされるので、
その証拠と事象の因果関係が論理的に整合してなければなりません。
したがって、科学が科学であるためには反証の余地が必ず必要なのです。
計画通りになる可能性が100%にならない理由をおわかりいただけたでしょうか?
反証可能性のある科学から導き出されたACTIONなので、
100%計画通りの結果が出ることの方が極めて稀なのです。
「絶対うまくいく!」ということは極めて神秘的な考え方なんですよね。
現実的には、計画の殆どはどの程度リスクを取るかによりますが、
60%から90%の成功可能性でしょう。
では、科学的に考えるということはどういう意味があるのでしょうか?
一旦、逆のケースを考えましょう。
科学的に考えずに行うこと、それは直感的で恣意的な行動にすぎません。
恣意的な行動で目標を達成する可能性は何%でしょうか?
恐らく、ライフルのフロントサイトで照準を合わせずに鳥を撃つのと同じことです。
または海図を持たずに航海にでるのを同じことでしょう。
科学的に考える意味とは、30%の成功可能性を60%に向上させる、
100%計画通りの結果がでない世界で少しでも確率を上げる作業なのです。
したがって、100%計画通りに進まなくて当然ということになります。
科学的とは何かを分かっていれば100%思い通りに行かなくて当然だという結論に至ります。
だからこそ、私は不確定要素に飛び込むチャレンジをいつも勧めています。
しばしば、学生時代優秀で才能を評価されている人が、
受験や就職活動で大きな挫折感に苛まれることがあります。
その理由は、エリートと呼ばれる経験を持つ人々の中には、
多くの成功体験が皮肉にも挫折感を生みだしているからなのかもしれません。
計画通りにならないということは実は、失敗ではなく前提なのです。
さらに、重要なことは計画通りにならない場合に、どう次のステップを踏むのかということなのです。
「どのように次のステップを踏み出すか」については改めて詳しく説明します。
実際、取り返しのつかない失敗とはどのようなものが考えられるでしょう。
想定される「失敗」と思っていたものの殆どは、実際に取り返しのつくものではないでしょうか?
そして、実際取り返しのつく計画外の結果に対して諦めずに次のアプローチを実践する。
もう「失敗を恐れる」必要はありません。
計画通りにならいとう前提に立ち、ACTIONの次にLOGICを作り上げればよいのです。
【情熱的である意味】 -なぜLOGICALになれないのか-
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