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こんにちは!Kunyです

今回は、何をもって生きるというのか、死ぬというのか、ずっと持っている死生観について書こうと思います。
見てみるまで正解のわからない世界なので、考え方は様々ですが自分の考え方をお話しします。
まず、死後の世界を見た人はそれを説明できないので、多くの人々は知らない世界を恐れて過ごしています。
そのため氏神になる、天国や地獄に行く、成仏するといった宗教別の死後の世界が考えられてきました。
個人的に信じていることは、もちろん証明はできませんが死後の世界は肉体が到達できない精神的なもので、生きている間に信じてきた世界に行くという気がしています。

そう思う理由は、19歳の時に母を失ったとき親友にかけてもらった言葉にあります。
お葬式で泣いている自分に、親友は一緒に涙をながしながらこう言いました。
「ありふれた言葉かもしれないけど、またあの世であえる。その時のために頑張っていこうな。」

そう言ってもらい、死後を意識して生きる人生が再スタートしました。
生まれた瞬間に、いつか死ぬのは決定する。
宇宙の歴史と比べると人生なんて0.2秒、瞬き程の瞬間といえる。
短い人生なら死を恐れるのではなく、死に方にこだわった生き方をしようと思いました。

生きるとは何か


一言でいうと、生きるというのは「人に影響を与えること」だと考えています。
他者に対して感動を与えたり、考え方や行動を変えたりすることです。
文字通り生き生きしている様子は、行動的で主体的、能動的で自分のまわりにいろいろなメッセージを発している状態ですよね。

生きていると、時に人への影響力が大きくなったり、逆に小さくなったりするものです。
なので、生死を1と0で考えるのではなく、人への影響と考えることで自分の今の命を1~10のグラデーションのように捉えています。

影響力を生きていること、と考えると肉体の限界を超えることができるはずです。
例えば、故人の残した言葉や考え方に支えられるとき、その人は時を越えて生きていると考えています。
その最たるものは芸術だと思います。
200年以上前に書かれたクラシックを聞いて、心が揺さぶれるとき作曲家の命は今生きる人々に影響を与えています。
抽象芸術は特に、作品に宿った命が時や場所を越えて生き続けていると思うのです。

同じように、私は19歳の時に亡くなった母の絵画から、そして20歳の時に亡くなった兄の言葉から今でも影響を受け、その命がここにあるんだと感じています。
私自身、会社経営以外でSNSや個人的なBlogを書いたりYouTubeに動画をあげたりしている理由は死後にも価値を産むストーリーが書けるのではないかと考えているからです。

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死ぬとは何か


死ぬとは、肉体を失うことではなく「忘れ去られること」だと考えています。
自分は今、生きていますが100年後には肉体を持っていないでしょう。
では100年後に自分が確かに存在していたことをどう証明できるのかという問題です。

戸籍で名前は証明できますが、どんな人でどういう人生だったのかはその人を知る人、その人が生きていたときに残したものでしか証明できません。
自分の孫の代までは、忘れ去られることはないかもしれませんが、もっと向こうまで、せっかく産んでもらった命なのでできるだけ長く忘れられない人生を送りたいものですね。

私は祖父から、500年前の先祖、武田信玄の城の武士について聞かされて育ちました。
また、「1782年の天明の大飢饉のときにお救い米を出した家だ、だから困っている人がいれば助けなさい」と小学生のころに祖父に言われました。
未来、自分がここに存在していた証明とはそういうストーリーを作ることであり、家族はそれを引き継ぐものだと思います。
そして、数百年とその命のバトンは受け継がれて行く中で先祖への敬いと後継者への期待が、一族というアイデンティティになるんだと思います。

日記を毎日書いて20年以上が経ちました。
データ上ではなく、紙に書いている理由はこの毎日を肉体の限界を過ぎても残すことです。
ハードディスクは5年しかデータを保存出来ませんが、西洋紙は数百年データを保存することができます。
日記が無ければ自伝は書けませんから、18歳くらいから兄の影響ではじめました。

仕事の仕方にもこの死生観が影響していて「自分がいなくなっても走るプログラムを作って売り上げを立て続ける」ことにも挑戦しました。
(完成して2年運用しましたが、現在は停止中)
会社経営者としても、寿命を超えるシステムを作ることは最重要任務だと考えています。

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この世に残された者としての生き方


どんな生き方をするのか、という持論は実はどう故人とコミュニケーションを取るのかと繋がっています。
私の場合は、母の絵画を友達に見てもらったり、兄の残した言葉を引用してコミュニケーションを取っています。
祖父を誇りに思い、祖母と会うといつも祖父のエピソードを思い出して笑い話をします。

自分の命を大事にするのと同じく、もし家族を失ってしまったのなら、その大切な人の残した素晴らしい何かを友達に話してください。
その愛する人はそこに生きていて、時を越えて影響を与えてくれる存在です。

ここでは、死生観について書きました。
科学的根拠はなく、とても抽象的なトピックです。
ただ、自分がこの世を去った後に必ず家族にまた会えることを信じています。
そのときの楽しい話題を毎日作ることが生きている間にやりたいことで、それは肉体の寿命を越えてこの世に残る生き方になると考えています。

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