こんにちは!海外レポートを書いているKunyです。
キューバのバラデロで感じた違和感についてお伝えします。
2014年2月、キューバとアメリカの国交正常化交渉が始まる10カ月前に、
私はキューバを訪れました。首都ハバナから東へ進んだ海岸沿いにあるバラデロ。
そこは、24時間飲み放題・食べ放題のリゾートホテルが並ぶ夢のような場所。
しかし、その夢のような場所に本物のキューバとは違うような違和感を覚え、私はホテルを飛び出しました。
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タクシーの運転手に「ビバカナダ!」と挨拶されて車を降りました。
ホテルから離れたバラデロの中心地、セントラルバラデロに到着。
バラデロの中心地と言ってもショッピングモールや銀行、レストラン、
ブティックやモニュメントがあるわけでなくヤシの木が並ぶ南国の一本道。
そこにホテルや土産物やが並んでいます。
しかし、レストランや現地の人が使うはずのスーパーがない。
もしかして食べ物は配給されて自炊する人がほとんどなのかな・・・?
そう考えて通りを歩きました。
後になって知ったのですが、キューバの給料は極端に低い代わりに生活必需品は政府が配給しているそうです。
しかし、実情は油やコーヒー、砂糖、塩、石鹸など殆どの必需品が足りていなく、
配給制を取っているキューバですが、全て無料というわけでもないそうです。
通りを歩いていて目に付くのは、とにかく観光客のカナダ人ばかりです。
カナダ人にとってキューバは凍てつくようなカナダの冬を忘れる避寒地。
さらに、カナダでは非常にリーズナブルな価格でキューバのパッケージ旅行が提供されています。
2014年、アメリカと国交は途絶えていましたが、カナダとの関係は良好なので毎年多くのカナダ人がキューバを訪れます。
通りに並んでいるのはタイムスリップしたようなアメリカのビンテージカー。
ゲバラが革命樹立後に、政府から奪ったアメ車に革命軍が乗って騒いでいるのを見て
「人の車に乗るんじゃない、返してきなさい」と部下を叱ったエピソードを思い出します。
ともあれ、物不足のキューバでは50年前の車が整備され未だに走っています。
私はタクシーの運転手に「ビバキューバ!」と意味もわからず言いました。
土産物屋で会った英語の話せる男と話すと、ビバは「祝福あれ」という意味だとわかりました。
給料に関して彼に聞くと、給料はみんな同じだと言っていましたが、ビジネスをするための敷地を借りるために政府にお金を払わなければならないと言っていました。革命政府が少数の大地主の土地を国有化したので、キューバの土地は国有地なのです。
ヤシの木やカラフルな花々が咲くキューバの通りを歩いているとフィリピンを思い出します。 違いは何かというと、路上にホームレスがいないことです。キューバの方が貧しいことは間違いないけど、ピカピカのビンテージカーやセントラルバラデロの清潔感ある街並み、陽気なミュージシャンたちを見ていると不思議とここの方が豊かにも見えてきます。
土産物屋を見て、やはり社会主義について考えを巡らせます。
資本主義の国から来た私は、どこの土産物屋へ行っても同じものばかり、同じ値段で売っていることに違和感を拭えません。
例えばゲバラの帽子、Tシャツ、コップ、置物からマグネット、シガーケースまで同じものを売る店がメインストリートに延々と並んでいます。
恐らく、一か所の工場で大量生産しただであろう商品を、通りに並ぶ同じような店が売っている光景に飽きてくるのは私だけではないでしょう。社会主義国家であるキューバ、良いか悪いかは別として、例え競合と差別化を図っても給料が変わらないことはこういう状況を生みます。
通りには土産物屋が並んでいて、その中には置物や大きな絵画を売っている店があります。
大型の土産物を売っている光景はベトナムやフィリピンでも見慣れているのですが、観光地には不適当なビジネスだと思います。彼らはスーツケースに入る大きさで重すぎず価値が高いと思えるものを売るべきでしょう。
通りで見つけたハンバーガーショップ。と言ってもマクドナルドのような店ではなく、
民家に写真のような窓があり、隣にメニューが提示されています。
その窓からお金を払い、バーガーを受け取ります。
その店でハンバーガーを2ペソで買いました。大雑把に言うと200円くらいです。
キューバ人が買うと本来は35セント、外国人の私は6倍以上の値段で買うことになりましたが、
アメリカにケンカを売るだけの味とボリュームはあったと思います。
ハンバーグの上にハムが乗っているのがくどかったけどソースは悪くありませんでした。
お店に並んでいた親子に「これくださいってキューバの言葉でなんて言うんですか?」と聞きましたがそれが通じなくてスペイン語で何と言ってものを買うのかわかりませんでした。
代わりに彼はスペイン語でスペイン語を説明しだしたからもう大変でした(笑)。このことは、私が英語を今のように扱えなかった頃の新鮮な気持ちを思い出させました。相手が一生懸命何か言っているのに自分は理解できないストレスとすまない気持ち、
その時、すごくスペイン語を勉強したいと思いました。
2時間近く通りを歩き、結局通りの端まで歩いてしまいました。くたくたです。
レストランで演奏していた3人ミュージシャンに声をかけられ、「チャチャ」というキューバで有名な曲を私のために演奏してくれました。情熱的で温かい演奏にお礼を3ペソ払いました。その後道を引き返し、東南アジアでは見られないおもしろいタクシーに乗り込みホテルへ引き返しました。
キューバで見かけたアメフトのヘルメットのようなデザインの3輪のタクシー。
インドで活躍する日本のEVベンチャーテラモーターズ株式会社の「オートリキシャ」に少し似ていますよね。
出所(『さらば、見せかけの「現地化」』アジアファースト, 2014)
ホテルに到着してコンセントのタイプが日本やカナダとは異なり、穴が3つ並んでいることに気が付きました。しかし、気が付くのが遅すぎました。
変換アダプタをカナダに置いてきたためパソコンやiPhoneも充電できません。いずれにしてもキューバではよほど高級なホテルでなければインターネットを使えないのでパソコンのバッテリーをセーブしながら、この旅行記を書くことにだけパソコンを使いました。
日が暮れるまでビーチを歩いて、背中が真っ赤に焼けました。バラデロのリゾートに1週間分のホテル代を支払済みでしたが、私はそこを離れることにしました、実際、1日でこのキューバの中にある外国人ばかりいる楽園には飽きてしまったからです。博物館や歴史的な場所へ行くためにカウンターで旅行相談をして、革命広場がある首都ハバナへ行く方法を聞きました。
レストランで夕食を取れる時間は限られています。もしも夕食を逃すと、パンとハムたけのサンドイッチしか手に入りませんのでディナーを逃せません。とりわけ、その日のディナーは豪勢でした。2羽のターキーを豪快にさばく解体ショー。肉を食べたが味は悪くありませんでした。どちらかと言うと、味付けは薄めで肉は堅め。魚は少し臭みのある淡水魚のようなもの。キューバでは一般的な味付けの料理です。
同じ商品が並列しているセントラルバラデロの街かどで、私が唯一買ったものは竹でできたマグです。ゲバラの肖像がデザインされていて、タンブラーグラスくらいの容積だったと思います。
この竹のマグでビールを飲んだのですが超まずい!
歯磨きしても口からなくならない変な苦みに襲われました。化学薬品か私が知らない竹の渋みがあるのかわかりませんが、あの商品は実用的ではないのですぐに生産停止すべきだと今でも強く思っています。
ディナーの時に気が付いたのですが、
ウエイターが無声音で「シュー」というような音を出して同僚を呼んでいました。
ここにもフィリピンとの共通点を見つけました。
寝る前の時間、私はバーに行きました。貧困国では人件費が安く仕事がすくない。伴って、スピーカーが歌う代わりにミュージシャンのバンド演奏の方が理にかなっているのでしょう。キューバのシンガーはとても上手でスペイン語の巻き舌の歌い方がすごく情熱的だと感動しました。
ボンゴは白人、シンガーはカリビアン(ブラウン)、ギターは私の他に唯一のアジア人(中国人)、かねてから知っていましたが、キューバは様々な人種が生活していて、トロントのように差別が少ない国といった印象を強く受けました。
1日でバラデロに飽きてしまった私は、翌日そこを離れました。
次回は、首都ハバナでの体験を書きたいと思います。
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